22クラブ(3)

22クラブ横浜は、2000年初めから春の恒例、バスで富士高原ゴルフコースへ出かけました。お花見&親睦コース実習会です。山室先生は特大アイスボックスにビール他飲み物を一杯。参加者は、得意料理の持ち寄りです。ローストビーフ、漬物、煮物、お赤飯、お稲荷さん、海苔巻き他、黒沢もおつまみを用意、日本酒や焼酎を持参の方も。ラウンドが終了するとバスに乗り込み、富士霊園お花見会場へ。毎年見事な桜の下、当時あちらこちらで宴会が開かれていました。空いているスペースにシートを敷き、アッと言う間に会場の出来上がりです。成績発表や、一言ずつ近況報告、それが終了すると宴会が始まります。30分ほどで終了しますが、その間に山室先生が一人一人に声を掛け、皆さんに対して配慮が行き届いている姿が眼に焼き付いています。新潟ゴルフトラベルでも、私では計画を立てない旅館、コースを選んで頂きました。山室先生から「ラウンド中にちょっと話した事を、男性風呂で真剣に復習していた方がいたよ」少しの言葉で印象に残るのは、さすが!スゴイ!あちらこちらのゴルフトラベル(別名爺婆会)に一緒に行かせて頂き、勉強しました。感謝です!これからは一人で頑張らなくては!でも今まで以上に山室先生に相談事が増えそうです。

Shot Shaping(曲げて打つ)

「あーっ調子悪いのかなぁ?すげぇフックボール打っているなぁ…。」お世辞にも「ナイスショット!」と掛け声をかけづらいその打球は、思わず「あっ!」と言ってしまいたくなるほど右へ飛び出し強烈に左に曲がってフェアウェイに戻って来きたので、「戻って来てラッキーでしたね。」と声をかけました。
そんな弾道が数ホール続き、いよいよ左に大きな池があるホールに来ると、今度の打球は左へ軽く飛び出したかと思えば右に軽く曲がり、池などお構いなしでフェアウェイをキープ…。NGF在職中に初めて山室先生とゴルフをした時のことです。

北海道出張の際、大手商社が保有するゴルフコースの下見に行きました。アメリカの有名コース設計家が手掛けたそのコースは、アメリカに居るかのように思わせる素晴らしい景観と戦略性を秘めた超難コースでした。前述したように、出張前は寝る時間を削って同行していただいておりましたので、到着して直ぐに予定外のゴルフをすることになり、てっきり調子が悪いのかと思っていました(まぁ本調子のはずはありませんけど)。ラウンドも後半に差し掛かった頃、「もしかして、わざと曲げて打っているのか!!」と、ようやっと気が付く始末。さらには、ラッキーだなんて失礼なことを言っていたので、その後の掛け声は「ナイスショット!」に修正。後方線上にも立たせてもらい、スイングと弾道を見させていただきました。面白いほど、右に左に曲がっていました(正しくは、曲げていました)。真っ直ぐ打たなくてもスコアが悪くならないことを目の当たりにした時でもありました。商社のコース担当者の方は、「うちのこのコースに初めて来て、アンダーパー(-2)でプレーした方は見たことが無い。それもバックティーから。」と、しきりに言っていました。打球の曲がりには驚きましたが、私はそれ以上に「なんでそこから?」と言うくらい入るパッティングの方が不思議でなりませんでした。(つづく)

22クラブ(2)

山室先生から「パリに行こうよ!」と聞いた時「えー、パリ観光?」…「違うよ、郊外のお城(シャトー)に宿泊し、そこのゴルフコースでプレーする、オシャレでしょ。勿論、パリ観光も入れてね」私は即答でした「行ってみたいです。考えてもみなかったです」「早速、計画を立てるから参加したい方を募りましょう」という事で2002年10月に実行です。お城周りの木々は黄色や赤に染まり見たことのない景色に参加者(私も)圧倒された事が鮮明に記憶しています。オシャレで話題性のあるゴルフコースでプレー。パリではルーブル美術館、エッフェル塔、凱旋門、シャンゼリゼ、三ツ星レストランでの美味しい食事、ナイトクラブなどいっぱいの「食・游・楽」を満喫しました。この他、山室先生が皆さんに楽しんで頂く気持ち満載のハワイほか色々な場所での開催をしました。山室先生からイベントについても学んだ事は一杯あります。22クラブは「みんなで集い、学び、競い、そして楽しむ!」がテーマ。12月9日は第50回チャップマンズトーナメント、レッスンで学んだことを、みんなで集い、コースと競い、楽しんで下さいね!

数え切れない経験ばかり

高校から大学までゴルフ部で活動をしていましたが、決められたコースをプレーする事が多かったのであまりコースを知りませんでした。
ベストインダクションに入社して1ヶ月でゴールデンウイークのスプリングキャンプで「ローレルバレイCC」へ2泊3日で連れていってもらいました。2ヵ月経ったら6月の軽井沢ゴルフトラベルへ。右も左も分からない私は山室先生の後をついていく事で精一杯でした。今でも鮮明に覚えています。なぜかと言うと・・・いろんな事件があったから!キャンプでは「卵事件」、軽井沢では「ロゼ事件」、更にハワイトラベルでは「パラボラアンテナ事件」が。いけない!あの事件を忘れるところでした。「ローレルバレイの早朝ラウンド瓦事件」。こんな経験はしない方が良いのですが今となっては良い思い出です。
そして一番の経験はゴルフ発祥の地「セントアンドリュース・オールドコース」をプレーできた事です。山室先生からは「各クラブへ入会したらクラブの握り方から教わり、最終目標はセントアンドリュースまで生徒さん全員をお連れしたい」と教わっていました。2010年に私も堀江先生と共に参加させてもらいました。セントアンドリュースでは事件は無かったのですが一番感動した事は入社3年目位の時に山室先生から私の誕生日にウイスキーなどを入れて持ち運びできる「スキットル」をプレゼントしてもらったことです。「いつかイギリスのコースで、このスキットルでスコッチでも飲みながらゴルフ行こうな!」と言って頂いて本当に実現させてくれました。本当にいろんなコースへ連れていってもらって山室先生には感謝しかありません。26年間の感謝はこれだけではないので、また今度へつづく。

ターンベリー:アイルサ島を臨む

優しい言葉

先週より、22クラブ葉山校の方で今年の6月に足を骨折されて4ヶ月間の入院、リハビリを行い無事退院された方がお見えになりました。自宅でリハビリをかねて毎日少しずつ歩く距離の伸ばしての散歩を繰り返し、担当医の先生からもゴルフを始めても大丈夫ですと言われたそうです。
クラスの皆さんからは「・・さん、もう大丈夫ですか、また、一緒に実習会に行きましょうね」と優しい言葉が。「皆さん有難うございます、入院中は早くゴルフが出来るようにゴルフゲームでイメージトレーニングをしていました。今では頭の中では常に18HSをパープレーで回れますよ!!」・・・「噓でしょ!」と皆さんから笑いが!! 本当に皆さん優しい人ですネ

見届け人

ゴルフを始めたら達成したいこと3つ。
1.スコア 男性は70台、女性は80台で(一度でいいから)プレーできるようになろう。
2.ホールインワン(Aceともいいます)を達成しよう。
3.エージシュートを達成しよう(達成できるくらい永く楽しもう)。
こんなお話しをスクール入会の皆さんにお話しをしています。この中でホールインワンは、誰もが達成できるチャンスがあるのではないでしょうか。私のクラスの方々は、毎年誰かしら達成をしています。22クラブ馬込でレッスンを担当してから、なぜか山室先生のここ最近3回のホールインワンに立ち会っています。すべて入るところまで見ています。ゴルフを始めて間もない哲也社長のホールインワンのときも一緒でした。さしずめ、ホールインワン見届け人と言ったところでしょうか。ホールインワンに立ち会ったことある方には、「そういう場面に立ち会った方は、そのうち自分に順番が回ってきますよ。」とお伝えします。なぜかって言いますと、昨日Aceを達成しました。(キャンプ座間 8番ホール 143Yard )あ っ、私のことで恐縮です。(つづく)

22クラブ(1)

先日、山室会長のブログで、馬込閉鎖に伴いまして12月でスクール終了、22クラブは3月で終了です。とても寂しいですが、今まで活動出来た事への感謝で一杯です。私は1997年10月から、長後ゴルフクラブ(神奈川県)で活動を開始、いつの間にか25年が過ぎました。その間、22クラブ校長(ベストインダクション会長)からゴルフに関するすべてのアドバイス、手ほどきを頂きました。貴重な財産を頂き、22クラブでレッスンをさせて頂きましたが、学び足りない事が山ほど・・・です。
22クラブのコンセプトは、みんなで集い、学び、競い、そして楽しむ。健全にゴルファーを育て、日本一居心地の良いクラブになろうと目標を持った、そんな22クラブが大好きでした。クラスメイトは非常に仲が良く週1回クラス仲間と会えるのを楽しみに通って頂きました。明るいフロントの皆さん、整った教室、打席の確保をして頂きレッスンがし易く馬込ゴルフガーデン様が提供して頂いたお陰と感謝です。山室校長のブログの通り、馬込のように理解がある練習場は少なく、今までかなり恵まれていたと痛感しています。馬込ゴルフガーデンで皆さまとご一緒出来る残り少ない日々を大切にしたいと思います。横浜ゴルフプラザは4月より22クラブから引き継ぎ私がレッスンを行う予定、馬込は京浜ゴルフクラブで活動する黒沢の予定です。

ゴルフは基本から。

現在、22クラブでは、10月期のカリキュラムを行っています。特に今回は基本の見直しと復讐を兼てのカリキュラムです。クラブの握り方、狙い方、構え方、姿勢の取り方、気持ちの持ち方と基本動作があります。基本を基に、色々なライでの体重のかけ方。ポールの位置などその場その場での対応が必要になってきます。ゴルフは色々な場所から打ちます。フェアウエイ、ラフ、林の中など対応が必要ですし、上手く打つためには、最低限覚えておかなければならない事が沢山あります。
22クラブのレッスン内容は非常に 整理され、分かりやすく、覚えやすく、良く出来ているなと心から思います。スイングでスランプに陥った時やボールが曲がってしょうがない時など基本を思い出して頂き初心に立ち返る事で、ゴルフに役に立てて頂きたいです。朝晩は寒くなってきましたが、昼間は、とても過ごしやすく気持ちよくゴルフが出来ます。是非とも基本を覚えていただき参考にして頂きたいと思います。このカリキュラムを構築していただき我々インストラクターにも、伝授していただけ山室先生に感謝しています。ありがとうございました。

出会いは・・・

「出会いは馬込ゴルフガーデンから」
27歳の時に5年3ヵ月務めた会社を脱サラしてゴルフのインストラクターになりたい気持ちはあったものの大学のゴルフ部時代にお世話になったゴルフ場でキャディーのアルバイトを1年近くしていました。このままではダメだと思い、埼玉の川口に住んでいたのにも関わらず飛び込みで馬込ゴルフガーデンに電話をして面接をしてもらいました。 その時 、インストラクターの資格を持っていなかったので馬込ゴルフガーデンにNGF(米国ゴルフ財団)を紹介して頂きました。その当時、全国のNGFスクールのアドバイザーをしていたのが山室先生でした。山室先生が馬込ゴルフガーデンのスクール相談に行かれた時に私が面接に来た事を偶然?聞いてインストラクターに興味を持っている私に電話をくれました。しかし電話に出たのが私の母でした。(その時もキャディーのアルバイトに行っていたので仕方ないのですが)母から電話をもらい報告を受けましたがお前に会いたいって「ベストほにゃららって言う会社から電話があったよ」と。「馬込がどうのこうのって言ってたけど。」…で、やっと話がつながりました。直ぐに山室先生に電話をしてお会いすることになりました。初めてお会いした時のことは今でも鮮明に覚えています。鶯谷駅で待ち合わせをしていたら遠くから黒のロングコートをまとった怖そう?な男性が歩いて来ました。僕は見て見ぬふりをして「こっちに来ないで~」と願っていました。願いは叶わず黒コートの男性は僕の目の前に来ると「坂本君かな?」と声を掛けて来ました。それが山室先生との初めての出会いでした。コーヒーショップで面接をしてもらい、「一緒にやろう!」と優しく誘って頂きました。僕から「いつからですか?」と尋ねると「4月から全て予定を空けておきなさい」と仮入社をさせてもらう事になりました。4月から山室先生のカバン持ち兼運転手をさせてもらい山室先生のレッスンを見学したり移動の車中でたくさんのゴルフ講義を聞かせてもらったのは貴重な時間でした。半年もの間、付き人みたいな形でいつも山室先生と一緒にいました。慣れない事もあり、かなりハードな毎日でしたが支えになったのが「由紀枝さんの特製おにぎり」です。行きの車の中で山室先生と一緒に食べます。おにぎりの具材は僕の好物、明太子とおかかです。由紀枝さん、半年間本当に毎日、美味しいおにぎりをありがとうございました。普段のレッスン以外にコースレッスンやキャンプ、国内トラベルといつも山室先生と一緒でした。数え切れないくらい多くのコースへ連れていってもらったのも良い勉強になりました。だいぶ長文になってしまったのでコースのお話はまた次の機会に!・・・(つづく)

はじまりは珍道中から

28年前、NGF FAR EASTに勤務していた時、ゴルフインストラクター養成講座「NGF GOLF ACADEMY」の事務局を担当することになりました。当時は、日本たばこ産業の子会社へ出向をしており、ゴルフスクール開講のお手伝いをしておりました。
事務局を担当する時、当時のボスから「色々と相談に乗ってもらうといいよ。」と紹介されたのが、のちに主任講師をしていただくことになる山室先生でした。国内外のセミナー会場への往復の移動中(車、新幹線、飛行機)、セミナーのシラバス作成の相談に乗っていただいたり、出向先の運営アドバイスをいただいたりしておりました。
なんでも回答いただけることもあり、当時、私の周辺に居たインストラクターの方々とは、少し異質?異色?と言ったところでした。セミナーが全国で展開されることになると、行動を一緒にする機会が増え、ゴルフのことはもちろん、それ以外の興味深い話が聞けるのが楽しみでした。関西会場へ行く途中(車)、山室先生の体調が悪くなり袋井の病院へ駆け込んだこと、米国アリゾナでUSGAハンディキャップシステムのセミナーを受講しに行った時は、脱水症状で、救急車で病院に運ばれたこともありました。忙しい中、セミナー前はいつも寝る時間を削って準備をしていただき、かなりの無理を強いることに…(今の時代なら訴えられてしまうかな)。
出張先の夕食の時に聞ける話も面白かったものです。おかげで、日本酒の美味しい飲み方を学ぶことができました。そう言えば、停電の丹波篠山で、二人で牡丹鍋(闇鍋?)をつついたこともありましたっけ。(つづく)